時計じかけのオレンジ(1971・米)

 今日も過去に書いたレビューを載せます。(最近忙しくてなかなか書けないので・・・)
時に好きというわけではないのですが、これも大学院の時に書きました。
キューブリックの「時計じかけのオレンジ」です。
無理矢理アニメーションに関連づけて書いています。以下ご覧ください。



この映画で特に際立つのは、全編を通してこの映画がデザイン的な要素を多く含んでいることである。まず、セットや小道具、衣裳の全てが映画の世界観を構成するために細部に渡ってデザインされている。また、この映画では人の動作さえもデザイン的に演出されている。


まず挙げられるのが時間軸の操作である。例えば、アレックスが若い女性二人と性行為をするシーンを早送りにしていたり、アレックスが他の仲間に自分がリーダーだということを示す為に仲間を水に突き落とすシーンをスローモーションで再生していたりする箇所である。これらのシーンは、前者は堂々と映されているSEXシーンの生々しさを早送りの映像と早送りの音楽をつけることによって機械的に和らげているが、その性行為自体は我々の目に焼き付くように作られている。後者は水に突き落として仲間の手をナイフで切るという一瞬だと見えづらい動きをスローモーションにすることによって見やすくしており、またその動きはより明快に見えることによってその悲惨さを伝える効果も上げている。実写映画の場合時間軸の操作は再生速度の違いとして目に見えてわかるが、アニメーションの場合時間軸の操作は再生速度を変化させるのではなく自分で自由にフレームを組み立てるところから始めるので、両者における特性や時間軸に対する表現の仕方は異なってくる。


次に挙げられるのが、ビリーボーイ一派たちが女性をレイプしようとしているシーンである。このシーンでは舞台のステージのようなセットに照明がたかれていて、サウンドトラックではクラシック音楽がつけられている。また、その場にいる5人は常に正面から映されていることを意識した動きをとっており、そのシーンは暴力的な一方で舞台上での演劇のようにも見える。従ってこの暴力シーンは残酷さとビジュアルに特化したデザイン性が融合していると言える。映画の場合は人間とロケーションというすでに存在しているものを撮る所から始まるので、ビジュアルに対する作り込みやアプローチは作品によって差があるが、アニメーションの場合は画面自体をゼロから作り上げるので、視覚的なデザイン性というのは必然的に伴われるものである。


最後に挙げられるのがアレックスの顔のアップである。アレックスの顔のアップは映画の中で何度も使われている。特に映画の冒頭のカットの正面を見つめるアレックスや、バーでベートーベンの第九を歌う女性を見つめる顔のアップは、アレックスがこの映画の象徴的な顔であることも示しているが、内容を語る上で必要というよりはその画自体を印象的に映す為のカットであり、いわばデザイン的なカットであると言える。画を印象的に映す為に作るという点においては、映画よりもアニメーションのほうが意識される部分である。


「時計じかけのオレンジ」に対してデザイン的演出という言葉が当てはまるのは、この映画はデザインの特性と同様に見る者に対しての視覚的配慮もほどこされ、また印象的な画面を意識して作られていることにも起因している。それに対し、アニメーション作品に関してデザインという言葉は必然性を伴う。それは先述した通り何もないところから画面を作っていくという意味でもあり、また、視覚的な要素で表現し、伝える部分が大きいからである。



「旅の途中」エレファントカシマシ

 ブログでは、私が大ファンであるエレファントカシマシに関しても綴っていきたいと思います。

かなり個人的な感想になるので、興味ない方は読みとばしてくださいませ。


まず最初は私が最近よく聞いている「旅の途中」です。

この曲はシングル「真夜中のヒーロー」に収録されています。もう12年も前の曲です。また、「チオビタドリンク2000」のCMソングでした。聞けば少し耳にしたことがあるような曲だと思います。

アルバム未収録曲ですが、ぜひアルバムに入れてほしい曲であり、存在がさりげなさすぎるので、もっとドーンと売り出してよかったのにと思います。とても良い曲なので。


youtubeにもアップされています。→「旅の途中」




「罪と罰」漫F画太郎

 今回は、ドストエフスキーの小説ではなく、漫F画太郎作の漫画「罪と罰」(一応原作はドストエフスキー)に関してです。

私は「地獄甲子園」「世にも奇妙な漫☆画太郎」等、画太郎漫画ファンです。下品を通り越して画太郎漫画は芸術の域に達していると考えています。そして、一番新しく読んだのが、この「罪と罰」。

内容は・・・称するならエロ・スプラッター・ギャグです。

正直いつものパターンが繰り返されていて、私は「世にも奇妙な漫☆画太郎」のほうが面白かったですが、特筆するならば本来残酷で脅威的なスプラッターシーンを残酷なままギャグにしてしまっているということです。おそらく普通に描写したら笑いには到底つなげられないシーンを笑いに変えられる画太郎先生の力はやはり真似できるものではなく、この狂気ギャグは他に類を見ないものだと思います。


キング・コング(1933・米)

ブログでは映画の感想などもアップしていきたいと考えています。
まずは、大学院の時に書いた映画のレビューを、せっかくなので載せます。

最初に、1933年にアメリカで作られた「キング・コング」です。一番最初に作られたものです。以下レビューです。


 
 
 「キング・コング」では実写の人間とコマ撮りによって動かされた人形が同一画面上に存在する。人形の実際のサイズは人間とほぼ同じかそれより小さいぐらいであったというが、画面内では合成技術により人形のほうがはるかに大きい設定で作られている。大きさの自由な操作は合成技術における特徴の1つである。映画に登場するキング・コングや恐竜などの怪獣たちの造りは細かい皺までリアルに作りこまれているため、人間の数倍も大きなサイズで画面上に現れても我々は巨大な怪獣としてそのサイズを自然と受け入れることができる。また、キング・コングと人間を頻繁に同一画面上に映すことでもキング・コングの存在をリアルに示している。

 そして、この映画ではウィリス・オブライエンの巧みなアニメートにより実在しない怪獣をあたかも人間と同じように生きてこの世に存在しているように思わせることに成功している。その要因として挙げられるのは、映画に出てくるキング・コングやその他の怪獣たちの生身の生き物としての肩を震わす息づかいや細かい指の動きなどの、細部まで神経が行き届いた動きである。この映画の場合怪獣たちは映画の中で人形であってはならないということが前提にあり、観客に本物の生き物のように思わせなければならない。しかし、現実には存在しない怪獣たちの動きというのはいわば空想上の動きであり、我々は初めてその怪獣たちが動く姿を目撃することになるのである。例えばアン・ダロウの衣服を剥がして匂いを嗅ぐ時のキング・コングの鼻の動きは左右の鼻が交互に動くといったようなとても細かい動きであり、そのような細かい動作が実在しない怪獣にリアリティを与えている。

 また、観客の心をつかむ上で重要なこととして挙げられるのはキング・コングの登場シーンである。その登場の仕方の演出は、木々の間からぬっと大きな顔を現すことで木の大きさと比較することによりキング・コングのスケール感を出し、手前に恐怖の叫び声をあげるアン・ダロウを配置することでよりキング・コングを脅威の存在として引き立たせている。また、カメラアングルもアン・ダロウ側からのあおりで映すことで、観客である我々もキング・コングを間近で発見したような感覚にさせている。

 このような演出や細かく作り込まれた人形、そしてオブライエンの巧みなアニメートの集積によって「キング・コング」は当時の人々に衝撃を与える革新的な映像となり、後世にまで影響を及ぼす作品に仕上がったと言える。


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