今日も過去に書いたレビューを載せます。(最近忙しくてなかなか書けないので・・・)時に好きというわけではないのですが、これも大学院の時に書きました。
キューブリックの「時計じかけのオレンジ」です。
無理矢理アニメーションに関連づけて書いています。以下ご覧ください。
この映画で特に際立つのは、全編を通してこの映画がデザイン的な要素を多く含んでいることである。まず、セットや小道具、衣裳の全てが映画の世界観を構成するために細部に渡ってデザインされている。また、この映画では人の動作さえもデザイン的に演出されている。
まず挙げられるのが時間軸の操作である。例えば、アレックスが若い女性二人と性行為をするシーンを早送りにしていたり、アレックスが他の仲間に自分がリーダーだということを示す為に仲間を水に突き落とすシーンをスローモーションで再生していたりする箇所である。これらのシーンは、前者は堂々と映されているSEXシーンの生々しさを早送りの映像と早送りの音楽をつけることによって機械的に和らげているが、その性行為自体は我々の目に焼き付くように作られている。後者は水に突き落として仲間の手をナイフで切るという一瞬だと見えづらい動きをスローモーションにすることによって見やすくしており、またその動きはより明快に見えることによってその悲惨さを伝える効果も上げている。実写映画の場合時間軸の操作は再生速度の違いとして目に見えてわかるが、アニメーションの場合時間軸の操作は再生速度を変化させるのではなく自分で自由にフレームを組み立てるところから始めるので、両者における特性や時間軸に対する表現の仕方は異なってくる。
次に挙げられるのが、ビリーボーイ一派たちが女性をレイプしようとしているシーンである。このシーンでは舞台のステージのようなセットに照明がたかれていて、サウンドトラックではクラシック音楽がつけられている。また、その場にいる5人は常に正面から映されていることを意識した動きをとっており、そのシーンは暴力的な一方で舞台上での演劇のようにも見える。従ってこの暴力シーンは残酷さとビジュアルに特化したデザイン性が融合していると言える。映画の場合は人間とロケーションというすでに存在しているものを撮る所から始まるので、ビジュアルに対する作り込みやアプローチは作品によって差があるが、アニメーションの場合は画面自体をゼロから作り上げるので、視覚的なデザイン性というのは必然的に伴われるものである。
最後に挙げられるのがアレックスの顔のアップである。アレックスの顔のアップは映画の中で何度も使われている。特に映画の冒頭のカットの正面を見つめるアレックスや、バーでベートーベンの第九を歌う女性を見つめる顔のアップは、アレックスがこの映画の象徴的な顔であることも示しているが、内容を語る上で必要というよりはその画自体を印象的に映す為のカットであり、いわばデザイン的なカットであると言える。画を印象的に映す為に作るという点においては、映画よりもアニメーションのほうが意識される部分である。
「時計じかけのオレンジ」に対してデザイン的演出という言葉が当てはまるのは、この映画はデザインの特性と同様に見る者に対しての視覚的配慮もほどこされ、また印象的な画面を意識して作られていることにも起因している。それに対し、アニメーション作品に関してデザインという言葉は必然性を伴う。それは先述した通り何もないところから画面を作っていくという意味でもあり、また、視覚的な要素で表現し、伝える部分が大きいからである。