「フランケンシュタイン」と「ヤング・フランケンシュタイン」

今回も過去に書いた、映画の考察です。
1931年の「フランケンシュタイン」と、そのパロディ映画である「ヤング・フランケンシュタイン」 (1974・米)を比較しています。
以下がその考察文です。


「ヤング・フランケンシュタイン」は、1931年に制作された「フランケンシュタイン」のパロディ映画である。まず、この2本の作品の大きな違いは内容の描かれ方である。元の作品の「フランケンシュタイン」は純粋にホラー作品として描かれているのに対して、「ヤング・フランケンシュタイン」はコメディタッチを基調としてその中にホラーの要素も織り交ぜて描かれている。


パロディとは有名な作品の特徴をまねて、風刺・滑稽を感じさせるように作りかえた作品のことであると定義する。ヤング・フランケンシュタインの登場人物はどれもフランケンシュタインの登場人物とそれぞれキャラクター性は異なるが置き換えられる位置づけにある。また、ストーリーにおいても終盤までは元のフランケンシュタインのストーリーに沿って描かれているが、フランケンシュタインでシリアスに描かれていた部分がすべて滑稽に描きかえられている。しかし、ストーリーにおける1つの決定的な違いは最後の終わり方である。フランケンシュタインでは最後怪物は炎に焼かれて葬られるが、ヤング・フランケンシュタインの怪物はフランケンシュタインの婚約者と結ばれ、さらにフランケンシュタインと同等の知識を手に入れる。これは元のフランケンシュタインに対する風刺である。


映画において怪物という存在はたいてい悲劇的な結末をむかえることが多い。なぜなら怪物は映画の中で悪事を働いてしまうからである。また、怪物と知識も結びつかないことが多い。怪物は乱暴さ故に悪者として扱われるだけでなく、知識がないからこそ人間との対話が不可能なのであり、その容姿と振る舞いだけで怪物、悪者として扱われてしまう。しかしヤング・フランケンシュタインではその知識と対話という法則を打ち破ることで人間と理解し合えるようになる。


この法則の打ち破りの面白さというものはパロディ特有の面白さであり、そこに新しい意味や意図が見えることによって、元の作品とは違う存在意義が出てくるのだ。



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